2016年3月12日 (土)

2016年3月11日

この日の14時46分には、毎年、1人になれる場所を探す。勤務先のフロアを抜け出し、地下階段の踊り場で目を閉じ首を垂れるが、あの日の記憶から現在の政治状況まで、様々なる思いが乱れる。形而上でしかない祈りは偽善か。自分は偽善者か。ならば、前向きになれずとも、世界が後ろ向きにはならないよう自分で努力するしかない、と思う。

・・・深夜。最後の1人となり、オフィスの灯を落とし、鍵を掛け、家まで歩きだす。あの日は、テレビを食い入るように見続ける同僚達と別れて、何を考えながら歩いたのだろう。長い1日がいつまでも終わらなく思え、道は果てなく長く、暗かった事は覚えている。

2014年6月29日 (日)

荒川沖にて

◆常磐線沿線のその駅に降り立った時、梅雨前にも関わらず、真夏かと思わせる暑さで、午後の日差しが照りつけていた。

その駅に途中下車したのは、別に大した理由はなかった。本当は、その隣の駅に開業し、ネットでも話題になっていたという、巨大な古書店を目指していたのだ。

しかし、次の到着駅としてアナウンスされる駅名になんとなしに聞き覚えがあった。スマホで検索してみると、やはりそうだった。数年前に世間を大きく騒がせた無差別通り魔殺人事件があった地。
思い立って、降りてみることにした。


◆改札を出て、歩道通路を渡り(・・・後で気付いたが、この通路こそが事件の現場だったということになる)、ショッピングビルへ。
かつて中堅スーパー「長崎屋」が入居していたこのビルは、数年前からドンキホーテの総合店形態「メガドンキホーテ」が核テナントとなっている。長崎屋がドンキホーテの資本傘下に入ったことによる業態転換だ。

グーグルマップによるとテナントとして書店が入店していることになっていたが、その場所は既にネットで覆われ、穴が空いたようながらんどうのスペースになっていた。昨年8月に閉店した旨の張り紙が暗がりに浮かぶ。その横には巨大なゲームコーナー。たむろす若者たち。


◆更に先に進む。アメリカンテイストのグッズと、迷路のようなディスプレイ。見覚えがある。
ハッと気付く。これは「ビレバン」だ。

すくなくともこの駅前では、このドンキホーテが「ヴィレッジバンガード」の下位互換機能を果たしている。
勿論それはドンキホーテの雑貨部門が元々狙っている立ち位置なのであろうが、この地方都市の駅前では、その狙いがあからさまに露出している。

1Fにはスーパー。そしてテナントや食堂、休憩コーナー。くつろぐ老婦人たち。


◆駅前から離れ、幹線道路へ。
かなり遠いが、ゴールである隣駅前の古本屋を徒歩で目指すことにした。気温は30度を超えている。
道路沿いの店を覗いたりしながら、幹線沿いをふらふらと歩く。

この地方にドミナント展開するローカルスーパーで涼を取り、麦茶を買う。片隅にはまたゲームコーナー。そこに入り浸る、さきほどのドンキよりはかなり若い、中高生と覚しき若者たち。

ロードサイドのラーメン屋、カーディーラー、アダルトショップ、TSUTAYA。少し離れて、住宅地や田んぼが広がる。
北陸や関西、もしくは東北地方のどこかの地方都市郊外と云われても全く気付かないような光景。


◆ 関西で過ごした学生時代を思い出す。
バイトやサークル活動で、滋賀周辺の小都市を何度も訪れた。
京都から離れ、大津からも遠ざかる程、駅前にたむろす若者たちの服装や化粧は段々派手になり、まちは地方都市の風貌をあからさまに濃くしてゆく、あの感覚。

この感覚を湖西線から北陸本線に乗せて次第に延伸させてゆけば、それは例えば山内マリコが小説「ここは退屈迎えに来て」で描いたような、もしくは私が幼少期を過ごしたような、やるせない閉塞した地方都市の風景に、ダイレクトにつながっていくのかも知れない。


◆だがしかし。

関東近郊のこの地は、少なくとも「地方」ではない。
所謂郊外論などでよく言及される、東京をぐるりと外周する「国道16号線」のもう少し外側のゾーン。

しかし、東京に中途半端な近さの立地であるが故に、その気になればまだ東京に手が届く場所であるがゆえに、逆説的ではあるが、山内が書いたような地方都市よりも、ある種の「閉塞感」は遥かに高いのではないか。


◆・・・そう云えば、かの事件の犯人の若者は、この地元で最初の殺人を犯したのち、東京に出ている。
そして秋葉原に一泊し、心配する母親宛に再度の犯行予告のメールを打ち、この地と秋葉原の往来を再度繰り返したのち、あの駅で最後の凶行に及んだ。
終着点=ゴールが見えてしまった後の、振り出しへの奇妙な往還。

高校卒業後進学せず、就職もうまくいかず、ネットの世界に耽溺していた彼にとって、アキバとは或る種の現実との接点であったのだろう。

彼は死刑を望みそのために殺人を犯したと主張し、被害者への謝罪も一切なかった。一審で望み通りの判決を受け、控訴を取り下げて刑を確定させた。
そして事件から5年後の2013年2月、死刑が執行されている。
(この事件については、犯人を改心させようと面会を繰り返した記者たちの異色のドキュメント「死刑のための殺人」(2014年・新潮社)が詳しい)


◆日差しが西日となり夕焼けが広がりだした頃に、疲労困憊しながらようやく隣の駅前付近へとたどり着き、パチンコ屋を改装した巨大な古本屋の前に立つ。

彼の事件の犯人がなぜ気になったのか。それは、人嫌いで本に耽溺し、本の為にわざわざ遠出なぞしてしまう私の中にも、彼と同じ要素があるかも知れないと感じるからだろう。
私にとっては本が、本屋が、現実であると同時に、バーチャルな世界への入り口だ。

ただし私は人は殺さない。ただ本に淫するのみだ。さあ、本に埋れよう。

参考1:
関東最大級の古書店「つちうら古書倶楽部」で大興奮 (デイリーポータルZ )

参考2:
土浦連続殺傷事件(ウィキペディア)記事





2014年3月17日 (月)

まど・みちおさんの死、そして

◆最近ますます言葉が出なくなってきた。
短センテンスの刺激を連続して送受し続けるような社会のありようが、私の中に辛うじて存在し続けて来た弁証法の回路を奪ってゆく。

でもこれは自ら意識して耐え抗うしかないことなのだろう。


◆2月28日、まど・みちおさんが104歳で亡くなられた。

拙ブログでも2010年に、まどさんに関して2度ほど文章を載せたことがある。

百歳の表現者〜まど・みちお「百歳日記」

優しい転向者たち〜阪田寛夫「まどさん」再読雑感


あれからもう3年以上が過ぎてしまったんだなあと思う。

・・・この間に、日本は東日本大震災という決して忘れられぬ刻印を刻まれ、原発という「業」のようなものを我が身内へと抱え込んでいたことを、まじまじと再認識させされた。そしてまどは宇宙の彼方へと旅立ち、自分はただ無為に老いたな、と思う。

「百歳の表現者」中で触れた通り、まどはヒューマニズムをさらに超えた、「生命さえも超えたもの」への畏敬のような感性をナチュラルに持っている人だったと思う。つまり元々時代も生命も超越したような人だったのだが。
まどならば放射能そのもののの哀しみを持っていることを歌っただろうか、とふと埒もないことを思う。


◆そして3月11日。
いつもにも増して騒がしい日常のざわめきの中で、ついと席を立ち、誰も来ることのない地下フロアの一室へ。

その瞬間、目を閉じ首を垂れる。

暫くのち、何もなかったようなそぶりで自席に戻る。
どれだけ偽善を重ねても、今日を生きることが、今の自分の務めだ、と思う。

2013年10月12日 (土)

すべては謎で、すべては必然で〜宮沢賢治「わたくしどもは」雑感

◆文章が書けなくなって来た。最近本を読んで面白く感じても、それを言語化できない。年齢かなあ。

先日実家に帰った折に、近所の某全国チェーンのスーパーの中の書店に、ふらりと入った。
フェアの書籍展開が店の中央部で行われてはいるが、雑誌と児童書とコミックが中心の品揃え。スーパーのインショップの書店には良くある構成かも知れないが、首都圏の店舗と比べると、一般書や文庫の層の薄さが些か寂しい。


◆そんな店内で、壁に張り付くようにわずかに残されていた文庫のコーナーにあったのが、この本「新編 宮沢賢治詩集」(天沢退二郎編・1991年・新潮文庫)だった。
郷里で過ごした10代の頃、賢治を読みまくっていたので、懐かしくてつい買ってしまった。




◆もう自分は、彼の没年をとっくに超えてしまったんだよなあ。

かつては、「ただただ神秘的な、年上の天才青年」と云うイメージだった賢治が、いつの間にか自分の中で「挫折して夭逝した後輩」のような位置づけに変わってしまっている。
だから、ひとつひとつの詩の感触も、10代当時とは結構違ってしまっていることに、結構戸惑いながら、懐かしく読んだ。


◆当時見たこともなかった詩もあった。あるいまだガキだったので、心に留まらなかったのだろうか。


〔わたくしどもは〕


わたくしどもは
ちゃうど一年いっしょに暮しました
その女はやさしく蒼白く
その眼はいつでも何かわたくしのわからない夢を見てゐるやうでした
いっしょになったその夏のある朝
わたくしは町はづれの橋で
村の娘が持って来た花があまり美しかったので
二十銭だけ買ってうちに帰りましたら
妻は空いてゐた金魚の壺にさして
店へ並べて居りました
夕方帰って来ましたら
妻はわたくしの顔を見てふしぎな笑ひやうをしました
見ると食卓にはいろいろな果物や
白い洋皿などまで並べてありますので
どうしたのかとたづねましたら
あの花が今日ひるの間にちゃうど二円に売れたといふのです
・・・・・・その青い夜の風や星、
      すだれや魂を送る火や・・・・・・
そしてその冬
妻は何の苦しみといふのでもなく
萎れるやうに崩れるやうに一日病んで没くなりました


◆賢治生前には未発表だった詩編の一つである。

「何かわたくしのわからない夢を見ている」ような眼をした彼女と「わたくし」がどのようにして「いっしょに」なったのか。その説明は略されている。あたかも人と人は運命として必然として出逢い、そこには物語性などないかのように。

では何故死んだのか。
「貝の火」や「黄いろのトマト」などの賢治の童話作品で繰り返された、「無垢な心が世俗的な価値に裏切られる」モチーフが、一瞬ここでも現れているような気もする。
「美しさ」を市場での交換に委ね、10倍の価値を得たことが、罪だったのだろうのか。

しかし、「・・・・・・その青い夜の風や星、すだれや魂を送る火や」という、強引にしてゆるやかな回想の転調の挿入で、私の上記の妄想は一瞬にして吹き飛んでしまう。

そして寒い冬になり、あたかも季節を過ぎた花が「萎れ」て落ちるが如く、彼女は亡くなってゆく。
すべては謎であり、同時にすべては必然であったかのように。
まるで異国の寓話か掌編のような、なんとも恐ろしく、美しく、儚い詩だと思った。

・・・賢治についてはまだ語りたいこともあるが、なにしろ十数年のブランクがあるし、このブログも久々の更新なので、今日はこの辺で。

(※蛇足ながら。そういえば本詩は、賢治の「雁の童子」をも思い起こさせる。あの物語は、旅で出会った老人が「まるでこの頃あった昔ばなし」のように語った、罰を受けてこの世に転生した「童子」の物語だった。須利耶圭がさも当然のように我が子として受け入れた童子は、多くの謎を残したまま、再び天へ召されてゆくのだ。)



















2013年7月 7日 (日)

七夕

まだかろうじてこの世の片隅に生存中。

ここ1年、中々ものを集中して考えたり、じっくり本を読んだりできない環境にあった。

7月からまた少し状況が変わった。少しは余裕を持って生きて行ければと思っている。

«春の徘徊雑録〜川崎寿彦「森のイングランド」ほか

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